仙台高等裁判所 昭和35年(ナ)3号 判決 1960年11月22日
原告 鈴木春吉
被告 福島県選挙管理委員会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は「一、昭和三五年一月一七日執行の遠野町議会議員選挙の効力に関する原告の訴願に対し被告が同年六月二日付けでした訴願棄却の裁決を取り消す。二、前項の選挙はこれを無効とする。三、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
第一 原告は昭和三五年一月一七日執行の福島県石城郡遠野町議会議員の選挙(以下本件選挙という)について公職選挙法(以下公選法ということがある)第一〇条、第五号にもとずきその被選挙権を有し本件選挙の候補者となり、本件選挙の投票得数は比較多数得票者の順位により落選者と決定されたものである。
第二 しかしながら本件選挙の執行は、公選法に違反する無効の選挙であり、その理由は次のとおりである。
(一) 遠野町選挙管理委員会(以下町選管ということがある)は本件選挙の告示の前日すなわち昭和三五年一月九日遠野町大字根岸字日幡三七番地訴外井沢義雄は遠野町基本選挙人名簿(以下選挙人名簿という)に登録されているが、井沢の住所は盤城市にあるから公選法第九条第二項の住所の要件を欠き遠野町における選挙権を有しないから遠野町議会議員の被選挙権を有しないとして同日井沢の出頭を求め、その旨言い渡し、更に同月一一日正式文書をもつてその旨同人に通知をなし、かつ、選挙人名簿中井沢の氏名欄に附箋して同人の選挙権行使を否認する措置を講じたのである。
(二) しかるに町選管の選任した選挙長は、本件選挙告示当日井沢の立候補推せん届出を受理して一般候補者の如く公選法にもとずいて所定の選挙運動(選挙事務所の届出受付、ポスターの検印、その交付、貼布の認容、街頭演説における標旗の使用と腕章、これを着用しての拡声機の使用、開票立会人所定のくじ引参加、公職候補である告示順位のくじ引き「一五番」に決定、同告示および投票記載場所における氏名の掲示)をさせ選挙人をして井沢が公職の候補者である如く誤認させ、他方投票日の前日である一月一六日の新聞紙上に井沢が被選挙権を有するものでない旨の審査権行使の結果を公表した。
(三) しかして町選管の選任した開票管理者は本件選挙開票の結果井沢の得票一九五票をば同人が被選挙権を有しないものとしてその票全部を無効と決定した。
(四) 以上の如く町選管は、井沢を公職の候補者にデツチ上げて擬装した候補者を作り、選挙人の公正な候補者の選択を誤らせて本件選挙を執行した。井沢に投票された一九五票は無効であるというけれども、この票の行方いかんによつて原告その他の候補者の当落に重大な影響を及ぼしたものといわなければならない。それ故本件選挙は当然無効である。それで原告は同年一月二三日本件選挙の無効を主張して異議を申し立てたが、町選管はこれを認めず同月二七日これを棄却したので、更に原告は同年二月九日被告に訴願したところ、被告は同年六月二日付けで原告の訴願を棄却する旨裁決した。
(五) 右訴願棄却裁決の理由は、次のとおりである。
(1) 訴願人(原告を指す、以下同じ)は被選挙権のない者の届出を受理したのは違法であると主張するが、公選法第八六条の規定により公職の候補者(以下候補者という)となろうとする者は、所定の文書でその旨を選挙長に届け出ることにより有効に候補者としての地位を取得することができ、被選挙権のない者が届け出をすることを禁じた規定はない。なお選挙人名簿の登録と選挙権行使との関連についてであるが、適法に選挙人名簿に登録されても選挙当日に選挙権のないものは投票することはできないものである。
(2) 訴願人は、選挙長が届出を受理する際はその届出者が被選挙権を有するや否やを審査すべきであると主張するが、届出は形式要件を具備しておれば受理しなければならないものであつて、実質的に被選挙権の有無まで審査すべきものでないと解する。すなわち立候補届出書の記載事項および添付書類の形式的審査に止まるべきものである。
(3) 訴願人のいう井沢義雄の場合も(1)で述べたように適法に届出が受理されたのであるから諸交付物の交付も受けられたし、氏名掲示も行なわれたのである。
(4) 訴願人は、井沢義雄に投ぜられた一九五票を選挙会で無効と決定したことについて、それ以前の段階の違法があつたからと主張するが、これらは前述のようにすべて正当なもので、なんら違法の点はない。すなわち選挙会において井沢義雄への投票は「被選挙権のない候補者になされた投票」として無効投票と決定されたのである。
(六) 選挙による公職の候補者となるには必ず被選挙権を有するものでなければならないことは公選法の強行規定であるが、選挙長が立候補届出を受理するにあたりこれを審査すべきか否かにつき被告は(五)の(1)(2)で示したような見解をとつている。しかしながらかかる見解に立つとするならば選挙長は一〇才の童児の立候補届出があつた場合でも、また本件のような町議会議員の選挙において輸入候補の立候補届出があつた場合でもその推せん届出者が基本選挙人名簿に記載されている限りはこれを受け付けなければならぬことになり、受け付けた以上は公職の候補者として公選法上所定の取扱いをしなければならぬことになるが、かかる結果は原告のとうてい納得できないところである。原告は、候補者の立候補届出を受理するに当り選挙長はその候補者が被選挙権者かどうか公選法所定の候補者たる資格を有するかどうか等を職権をもつて調査する権限と義務があると解するを正当と信ずるものであるが、被告のような法解釈では憲法に規定する基本的人権に由来する選挙に対する不信感を醸成し今後の選挙執行の混乱も考えられるので原告はこの点について裁判所の正しい解釈を希求するものである、
と陳述した。
(証拠省略)
被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、
第一 原告主張の請求原因事実に対する認否として、
請求原因第一の事実は認める、第二の事実については冒頭の「本件選挙の執行は公選法に違反する無効の選挙である」との点、(二)の事実中「町選管が選挙人をして井沢が公職の候補者であるごとく誤認させ、他方本件選挙の日の前日である一月一六日の新聞紙上に井沢が被選挙権を有する者でない旨の審査権行使の結果を公表した」との点および(六)の事実全部を否認し、その余の事実をすべて認める。
第二 被告の主張として、
本件選挙は有効である。公選法第八六条の規定により公職の候補者となろうとする者は、文書をもつて選挙長に届け出ることにより有効に候補者の地位を取得することができるのであり、公選法には被選挙権のない者が立候補することを禁止した規定はない。また、選挙長の立候補届出の受理に際しての審査権は、形式審査に止まるものであつて、候補者が被選挙権を有するものであるか否かを実質的に審査する権限を有するものではない。したがつて被選挙権のない者が候補者となる場合もあり、法律もこれを予想しているのである。すなわち公選法第六八条第一項第四号には「被選挙権のない公職の候補者の氏名を記載したものは無効とする」旨の規定があるのであり、被選挙権のない候補者は開票または選挙会の段階においてこれを排除することが法の趣旨であると解されるのである。以上の如く、井沢義雄が被選挙権のない者であつたとしても、選挙長が同人の立候補届出を受理し、法令にもとづいて諸交付物件を交付し選挙を執行したことは、なんら選挙の規定に違反するものではなく、井沢になされた投票一九五票は被選挙権のない公職の候補者の氏名を記載したものとして無効とされたのである。被選挙権の要件と立候補の要件とを同一視した原告の見解は誤りである。
と陳述した。
(証拠省略)
理由
昭和三五年一月一七日執行の福島県石城郡遠野町議会議員の選挙に際し、原告が右町議会議員の候補者であつたこと、訴外井沢義雄が右選挙において遠野町選挙管理委員会の選任した選挙長に右町議会議員の立候補届出をし、右選挙長がこれを受理して同人をして選挙運動をなすに至らしめたこと、右井沢の住所が遠野町にないこと、それで右選挙管理委員会の選任した本件選挙の開票管理者は右井沢に本件選挙の被選挙権なしとして同人に対する投票を無効と決定したこと、それで原告は右選挙の効力に関し異議ありとして同年一月二三日右選挙管理委員会に対し異議申立をし、同月二七日これを棄却されるや、同年二月九日被告に訴願したが、被告は同年六月二日付けで原告の訴願を棄却する旨裁決したことは当事者間に争いがない。
原告は、前記選挙長が被選挙権を有しない井沢の立候補届出を受理したのは違法であつて、本件選挙は選挙の規定に違反するものであると主張するので考えてみるに、公職選挙法第八六条第一項または第二項の届出に際し、届出にかかる候補者が被選挙権のない者であることはあり得ることであるが、同法第六八条第四号によれば、被選挙権のない公職の候補者の氏名を記載した投票はこれを無効とすることにし、そして同法第六七条によれば、すべて投票の効力は開票立会人の意見を聴いて開票管理者が決定することになつている。
これに対し選挙長が立候補を受理するに当りその者の被選挙権の有無を審査することに関してはなんらの規定もない。
また、かりに、選挙長が届出受理に際し立候補資格や立候補制限違反の有無について実質的に審査する権限と義務があるものとすると、今日のような複雑な社会生活のもとにおいて選挙長が右審査を短期間に誤りなく行なうことは必ずしも容易ではなく、ひとたびこの判断を誤つて届出を受理しなかつたときは選挙の無効を来たすことは必至であり、更にはまた右権限が立候補妨害ないし選挙干渉の手段とされる危険もなくはない。もとより選挙長に右のような権限と義務を与えれば予め判りきつた無効投票の出ることが阻止されることにより選挙手続の無駄が省けるとともに選挙民の意思がより適正に選挙結果に反映するという長所のあることは否定できない。しかしながら得票が無効となることが判つているのに立候補するような者は、よしあるにしても少いものとみなければならず、したがつて右のような長所が発揮される場合はさほど多くはないと思われるから、右長所は一般的普遍的に存在を予想される前叙の重大な弊害を償うには足りないものと考えられる。以上の諸点を併せ考えてみると選挙長は立候補の届出を受け付けるに際しては候補者となるべき者の被選挙権の有無を実質的に審査する権限もなければ義務もなく、かりにその者に被選挙権のないことが判明していてもその届出を受理しなければならないものと解するを相当とする。したがつて前記選挙長が井沢義雄の立候補届出を受理したことはなんら違法ではないし、また同人の立候補届出後遠野町選挙管理委員会が同人に他の候補者と同様に選挙運動をさせたことをもつて選挙の規定に違反するものとなし得ないことは明らかである。なお、遠野町選挙管理委員会が本件選挙告示の前日である昭和三五年一月九日および右告示後選挙前である同月一一日井沢に対し同人が本件選挙の被選挙権のない旨を通告したことは当事者間に争いなく、また成立に争いのない甲第一号証によれば本件選挙前日である同年同月一六日の福島民報紙上に右選挙管理委員会の談として同委員会が右井沢は本件選挙の被選挙権を有しないものと認定した旨の記事が載つたことが認められるところ、原告はこれら事実を何か重大な意味があるものとしているふしがあるが、これら事実は要するに右選挙管理委員会が本件選挙の告示前から前記井沢に本件選挙の被選挙権がないと認めていたことを物語るに止まるものであつて、これら事実が前記判断を左右するに由ないものであることは前叙説明したところからして自ら明らかである。そうとすれば本件選挙が無効であるとの原告の主張は、それが選挙の規定に違反したものであるとの点ですでにこれを認めることができないものであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の訴願を棄却した被告の前記裁決は正当であり、したがつて原告の本訴請求はすべて理由がない。よつて、これを棄却することにし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 斎藤規矩三 石井義彦 宮崎富哉)